2016.5.25〜 子どもたち〜
〜子どもたち〜
はい、
25日の言の葉は、
かわいいなぁ、
子どもたち。
子どもたちの未来を見据えて、
今、
何をしようか。
大人は、
子どもの未来を、
将来を、
どう捉えて、
ステージを、
用意するのか。
子どもたちは、
みな、
自由に、
のびのびと、
成長していく。
そのためには、
大人たちが、
子どもたちのために、
出来る、
ことを、
用意する。
それは、
大人の描く、
道を、
子どもに、
歩かせるためではない。
大人たちは、
時として、
自分の、
理想や、希望を、
子どもに託し、
がんじがらめにしてしまう。
それでは、
本来の、
子どもである、
魂が、
のびのびと、
生きられるはずもない。
どうか、
気づいて欲しい。
あなたの子も、
血が繋がっていなくても、
子どもたちは、
みな、
宝なのだ。
他人の子だから、
自分の子だから。
子どもがいる、
いない、
そんなことよりも、
もっと、
大きな愛で、
子どものために、
大人は、
生きて、
準備しなければ。
大人が、
大人であるように。
子どもが、
子どもで、
いられるように。
2016.5.25
子どもがいる。
いない。
好きか、嫌いか。
そういう個人レベルでの話は、
さておき。
その、
子どもの持つ、
本来の成長を、
大人たちが、
妨げてはいないだろうか?
血が繋がっている、
自分の子だというだけで、
自分の都合の良い、
ルールを押しつけ、
レールを弾こうとはしていないだろうか?
人は、
誰しも、
エゴを持つ。
そのエゴの犠牲に、
子どもたちがなってはダメだ。
『あなたのため』
という、
足枷で、
知らず知らずに、
自由を奪う。
気づかないうちに、
縛り付けている。
それすら、
気づかない大人の、
なんと多いことか。
大人は、
大人が思うほど、
大人でもなく。
子どもも、
大人が思うほど、
子どもではない。
ひとつの魂として、
いま、
そこに、
等しく存在している。
今日の言の葉。
ありがとうございます。
∞
愛と感謝を込めて。